精神の外部 マジック・イン・ムーンライト
英国人マジシャンのスタンリーはニヒリストで毒舌家だが、天才的なマジックの腕前で人気を博していた。ある時、幼なじみのハワードから、ある大富豪が入れあげている米国人占い師の真偽を見抜いてほしいと依頼される。魔法や超能力など存在しないと信じるスタンリーは、ペテンを見抜いてやろうと自信満々で噂の占い師ソフィのもとへ乗り込む。しかし、彼女の透視能力を目の当たりにして価値観を揺さぶられ、さらには容姿も性格も完璧な彼女にほれ込んでしまう。
マジック・イン・ムーンライト : 作品情報 - 映画.com
──舞台となる1920年代という時代背景について教えてください。そんなに心霊術が流行っていたのですか?
当時はいろいろ言われていたんだ。アーサー・コナン・ドイル(『シャーロック・ホームズ』の生みの親)のような著名人が、この問題をひどく真面目に取り扱った。心霊写真のようなあらゆる案件に人々は興味津々で、心霊術はとても一般的だったんだ。
──そんな時代を背景に「恋の魔法」について描こうとした理由を教えてください。
誰かに出会ってその人にたちまち魅了されてしまうというのは、説明のつかないことだ。人はそこに理由を見つけだそうとする。「その人のスタイルが好きだ」「その人のユーモアのセンスが好きだ」「考え方が好きだ」「容姿が好きだ」とね。でも結局のところ、理由は絶対わからない。なぜなら同じスタイルで同じユーモアのセンスで、いろいろ同じだったとしても、別の相手には魅了されないからだ。恋はとても複雑だ。なぜならそれは実体のないものだからね。でもそうした恋こそ本物なんだと思う。
今から100万年後には、コンピューターで何が起きているかを数式グラフで表すことが間違いなくできるようになるだろう。だけど現在は、そして予測できる将来においては、この状況が変わるなんて保証はどこにもない。人が誰かに出会い、その相手に対して前向きでロマンティックな感情を抱くというのは、間違いなく魔法のようにワクワクすることなんだよ。
説明のつかない恋こそ本物なんだ─ウディ・アレンが語る『マジック・イン・ムーンライト』|南仏を舞台に皮肉屋マジシャンと謎めいた占い師の駆け引きを描くロマンティック・コメディ - 骰子の眼 - webDICE
チェスタトン氏は『異端者』と称するあのすばらしい論文集の序文に次のような言葉を記している。「およそ一個の人間に関してもっとも実際的で重大なことは、なんといってもその人の抱いている宇宙観である、という考えをもっているものが世間にはいく人かいるが、私もその一人である。われわれの考えるところでは、下宿屋の女将が下宿人の品定めをする場合、下宿人の収入を知ることは重要なことではあるが、それにもまして重要なのは彼の哲学を知ることである。まさに敵と矛を交えようとする将軍にとって、敵の勢力を知ることは重要ではあるが、しかし敵の哲学を知ることの方がよりいっそう重大なことであるとわれわれは考える。おもうに問題は、宇宙に関する理解がものごとに影響を与えるか否かということではなくて、つづまるところそれ以外にものごとに影響を及ぼすようなものが果して存在するかどうかということなのである。」
『プラグマティズム』W. ジェイムズ P9
皮肉屋はたいてい自分が何らかの真実を握っていると思っている。「世界の真実はこうだ」といってA,B,C,Dと彼が真実と呼ぶものを並べ立てそのなかに世界のすべてが含まれると考える。誰かが言う「こういう新しいものXを見つけた」と、それについて皮肉屋は彼の真実のリストから真実を述べる。「結局Bのことでしょ。」云々。そうは言うが、皮肉屋は決してXを見ていない。彼が見ているのは彼の真実のリストだけ、彼の閉じた世界のなかで彼は全てを分かっているのだ。もちろんそれは彼にとっては避難所であり、もし彼が何かについて攻撃的なのだとしたら(こういうのは多くが交互作用で自分がどう見てるのかを意識することも必要だが)それは彼の外部なのかもしれない(他人はいつも外部)。
スタンリー(コリン・ファース)もそのような男だ。彼はマジシャンである。マジックには確実に種か仕掛けがある。何か自分の考えの及ばぬ方法や力によって観客を魅了する見世物ではなく、マジックの世界は全てに説明がつく。帽子から鳩が出てきた、象が一瞬で舞台から消えた、人間が真っ二つに切断された、全てに説明がつく。スタンリーはそのようなマジックの性質を体現したような男であり、世界の全てに合理的な説明がつくと信じている。
彼が何故そのように信じるようにいたったかについての根源のようなものは中盤に明らかになる。彼は子供の頃に宇宙を望む天文台に行ったことがあって、そのときに宇宙が怖くて見ることができなかったのだという。宇宙とは広がりそのものだが、宇宙から目を逸らすことで世界の広がりそのものにも目を逸らしてしまう。そうやって世界をなにか閉じたものだと仮定すれば彼にとっての世界の真実のリストはできあがるだろうが、彼はその中から出ることができない。
しかし、スタンリーはソフィー(エマ・ストーン)と出会って宇宙を見ることができるようになる。彼女は霊が見え霊の存在を通して他人の過去や未来を覗くことができる、ということになっている。彼女は初めてあった彼の職業をあてたり、おばの過去を明かしたりと、その能力がほとんど完全に見えるのでスタンリーは彼女のことをほとんど信じてしまう。何か自分の知らない世界の謎がある!ということを彼女の存在が証明しているのではないかと。車が故障し突然の雷雨に見舞われ彼等二人は展望台に避難する。眠ることは存在の中断であるが、人間にとって眠ることそのものが謎である。眠っていることがどういうことかを意識しながら眠ることは誰にもできないからだ。羊を数える行為は眠った瞬間に中断する。スタンリーは眠ることができなかったが、その天文台に来て眠る。目を覚ますと彼は彼女と宇宙について語る。子供の頃宇宙が怖かったが、今はそうじゃないと。
『理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ』にこの世に起こることは全て良いことなのだという究極の楽観論ライプニッツの最善説がでてくる。ライプニッツは『弁神論』で地球の裏側に人がいると想像もしない時代から神は存在しその時代の神の観念は規模の小さいものだったのだという。しかし、宇宙は広大であることをわれわれは発見した。そのような宇宙に比べればこの地上は無限小の点のようなものであり、その点の中に悪が存在するとしてもそれは宇宙が存在する奇跡という善に比べれば大したことがないことだという。これも『プラグマティズム』に載っていたのだが、上のライプニッツの意見に同意するということはない(しかし似たようなロジックは色んなところで見る)だろう。スタンリーもおばが入院することになって神に祈ろうとしたが神に全てを委ねようとまでは思わなかった。しかし楽観ということに関していえば考えるところがある。楽観には未知、謎、広がりといったような世界が閉じていないものだと見せるものが必要だということだ。スタンリーはソフィーと出会ってそれを手に入れた。
9/10/2020
更新
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