「ありのままで」からありのままに アナと雪の女王

[シネマトゥデイ映画ニュース] 大ヒット公開中のアニメーション映画『アナと雪の女王』が、3月14日の公開から83日目となる4日に観客動員1,700万人を突破した。1997年の映画『タイタニック』(1,683万人)を抜き、日本国内で公開された洋画の観客動員記録を17年ぶりに更新した。

配給によると、4日までの累計観客動員は1,701万8,400人、累計興行収入は215億8,220万円。観客動員数で1,700万人の大台突破は、2001年の『千と千尋の神隠し』以来、実に13年ぶりとなる。
『アナ雪』動員1,700万人突破で『タイタニック』超え!洋画動員記録を更新 - シネマトゥデイ

『アナと雪の女王』興収V13 累計動員1757万人突破- MSN 最新ニュース|トピックス

主題歌のタイトルになっている“Let It Go”は、直訳すれば「そのままにしておく」や「あきらめろ」という意味だが、日本語版の訳詞では、『ありのままの姿見せるのよ/ありのままの自分になるの』と、自分を偽った生き方から、自由に「ありのまま」生きる人生に変わるための応援歌になっている。
「アナと雪の女王」にみる社会の姿-「ありのまま」生きる “Let It Be” と “Let It Go” | シンクタンクならニッセイ基礎研究所

14日に久しぶりに映画館で映画を観てきました。もう終わってるかなと思ってたけど、まだやってたので『アナと雪の女王』へ。選択肢一択の2D吹替版。
予告のドラえもん3D、ゴジラがやばい。本編前の短編はミッキーがやってるから許されるのかもしれないけどハプニングの無限ループは結構残酷ですねw
本編を見てる時は前に座ってた子供が、オラフの体当たりのギャグで何度も爆笑してるのがよかったです。つられて笑いました。というわけで結構面白かったです。(しかし、そばかすとか肌の肌理が表現されてる人形のようなものってちょっと怖いですね。そう見えるのは顔の表情が止まっていてなおかつアップになっている時だけで、ほとんどのシーンでは目や口がすごく動いていて人間味がありますけれど。美麗なCGのせいなのか顔だけに微妙な違和感があって、クリストフがオーケン(?)の店に雪まみれで顔を隠して現れた時、服やらそれについた雪やらがやたらリアルCGなので顔が出るまでは実写の人が紛れ込んでるように見えました。そのシーンでの魚の瓶詰めもなぜか妙にリアル。)

アナと雪の女王
(Disney's Frozen Official Trailer - YouTube
もうすでに公開から3ヶ月以上たっているので他のところでいろいろなことがすでに書かれていて、何を書いても新鮮味が薄れている気がしますが(かといってあらゆる批評のまとめをつくろうという選択肢もない)、だからと言って何かそのような新鮮味がありえないわけじゃないでしょう。雪だるまが夏に憧れてもいいわけです。

雪の魔法が使えるエルサは戴冠式で妹のアナの結婚を巡って、「あなたに愛がわかるの?」「姉さんこそわかるの?」といったようなかたちでアナと喧嘩になり、その過程で隠していたエルサの氷の魔法が予期せずに大衆の目に触れる事になります。皆に怖がられるエルサは街を出て、雪山に一人で登り「ありの~♪」と歌いながら、自分の使える限りの能力で氷の城をつくりそこに閉じこもることになります。ここでおかしいのは「let it go」の歌詞と彼女の行動がまるで一致してないことです。彼女はこう歌います。

”ありのままの 姿見せるのよ”

山の奥深くのてっぺんにいるエルサの周りには誰もそれを聴いている人はいません。自分の能力を惜しげなく使えるようになっただけで、誰も彼女の姿を見てくれる人はいないのです。彼女はそれを自由だといいます。しかし、自由になったのはそれ一回きりのことです。城からは自由になれたかもしれませんが、彼女の自由はその一回の事実のことだけなのです。林の中で狼に出会う前に、クリストフはアナに対して言います「一回会っただけで運命の人だと思ったのかい?」と(こんなような言葉だったはず)。一回愛を感じたことだけでは愛とは言えないし、一回自由を感じたことが自由でもないんです。

アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である」といっておりますが、ここにも基本的に同じ発想があるのです。私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。

日本の思想 (岩波新書)』丸山真男 pp155-156

ありのままとか自由という言葉について、それが本来は行為遂行的な発言として使われるにもかかわらず、単にある出来事を元にした事実確認的なものとして用い、単に自分を納得させるために使っていることがちょっとおかしいんですね。事実はすぐに不在になって、過去のものや死んだものになります。エルサは両親の教えに従って誰にも姿を見せないことを余儀なくされますが、両親が死んだあともそのほとんど死文と化した教えを絶対視します。let it go はそこからの脱出に見えますが、その反動の事実(「自由になった。 よかった」)を絶対視している点で前と何も変わってないのです。

日本国憲法にも書いてあります。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
日本国憲法

丸山真男は上の本でこれを”「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっている事態が起るぞ」という警告になっているわけなんです。”と読み替えています。自由は日々の普段の努力によって獲得されるものだ!、なんていうものとは暑苦しくて溶けてしまいそうであんまり接したくないんですが(丸山真男は上の引用の直後にこういう人を批判しています)、ただアナとかエルサみたいに一回の経験で判断してはダメだろうと、さすがに一回ですべてを得たような気分になるほど怠惰ではありません(しかし2回では…。

第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
世界人権宣言(仮訳文)

アナとエルサは死文の教え(キャラ)からどう脱出するのか。ラストではアナが氷の呪いにかかってしまい、それを解く方法が「真実の愛」以外にはないと告げられます。この物語で語られている愛とはなんでしょうか?アナは最初はハンスとの愛がそれだと思いハンスに会いに行くが裏切られ、その後クリストフに会いたいと願いますが、最後の完全に呪われてしまう一歩手前でクリストフを離れエルサを助けるために剣を振りかぶるハンスの前に立つという自己犠牲を行います。それが「真実の愛」と認められて呪いが解けるのですが、これは何でしょうか?家族愛とか同性愛とか言われていますが、重要なのは愛の内容ではなく形式ではないかと思うのです。

オラフは自分が溶けてしまってもいいから、暖炉に火をつけてアナに暖まるように言います。クリストフはアナを助けるために危険を顧みず船が倒れてくる猛吹雪の中を走りぬけ探し出します。けれど、アナはそれに対する何かを彼らには返さず、彼らと同じことをしてエルサを助けることを選びます。そうやって別の人に愛を受け渡していくこと、与えられた愛を与えられたものに返すのではなく別の人に与えることが「真実の愛」として受け入れられたのではないでしょうか。アナが回復してからも続きがあって、エルサが氷の魔法を公共の福祉に利するように(!)制御できるようになってからは、夏には溶けてなくなってしまうオラフもエルサの作った雪雲を与えられることによって夏を生きられるようになります。エルサがアナに何かを返す描写は描かれませんが国民にスケート場を作ってあげることは描かれます。ペイフォワードみたいですね。作中ではオーケンの店で需要と供給(あるいは欲する欲される)という言葉が出てきてそれが異物のように入り込んでいるような感じがありますが、なにかそういうエコノミーに対案を出そうというのがディズニーの意図なのかもしれません。

中学1年生のトレヴァー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、アル中の父(ジョン・ボン・ジョヴィ)が家出をしているためバーで働き同じくアル中になっている母アーリーン(ヘレン・ハント)と2人暮らし。ある日、社会の授業でシモネット先生(ケヴィン・スペイシー)が出した“自分の手で世界を変える方法”の課題に対し、トレヴァーは“ペイ・フォワード”計画を思いつく。1人の人間が3人の人間に親切をし、さらにそれぞれ親切を受けた者が3人に親切をしていくというものだ。一方、そんなトレヴァーの企みで、母と独身のシモネット先生は急接近する。顔と体に大きな火傷を負っているシモネットは中々心を開かなかったが、2人はやがて結ばれる。しかしトレヴァーは、いじめられていた友人を助けようとして、いじめっ子に刺されて死んでしまった。だが彼の“ペイ・フォワード”計画は街中に広まっており、街の人々は亡きトレヴァーを追悼するのだった。
ペイ・フォワード 可能の王国 | Movie Walker


経験の回数を話題にしましたが、テクストのみのコミュニケーションは「一回」に到達しているでしょうか。

署によると、同日午前3時半ごろ、インターホンが鳴り、女性がドアを開けると、男2人がいきなり「金を出せ」などと脅した。女性が抵抗すると、男らは女性の頭や顔を殴り、差し出した現金約7万円を奪って逃走した。男はいずれも20代ぐらい。1人は身長175センチぐらいでやせ形、もう1人は160センチぐらいでがっちりした体格だったという。

女性は事件発生直前、LINEで知り合った見知らぬ人物から「今日家に行くので会いましょう」という趣旨のメッセージを受け取っており、ドアを開けてしまったという。署は、LINEの相手と容疑者が同一人物である可能性があるとみて調べている。
LINEの相手が突然家に? 殴られ金奪われる 名古屋:朝日新聞デジタル
9/10/2020
更新

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